僕の視線の先には

僕のココロ

白米の休日

今日はお休みだったので早起きして久しぶりにドライブへ。

北の大地の白米は札幌生まれ札幌育ち。

 

北海道では札幌が都心なので地元ではよく都会っ子だと言われます。

 

まあ、栄えてはいるけれど、やっぱり東京とかと比べたら、ねえ…

北海道自体が田舎だと思ってる地元民です。

だって、どこ行くんでも飛行機乗らないといけないし。

札幌なんて名所もないし。

遊ぶところも遊び尽くしてぶっちゃけ飽きてます。(失礼)

中途半端な都会っぷりがあんまり好きじゃない。

 

札幌の空気に疲れるので、たまーに遠出します。

まあ、遠出と言っても今日は苫小牧までなので近いんですけどね。

高速で1時間もかからないくらい。

 

なぜ苫小牧にしたかというと、私、大好物があって。

豚まん好きなんですよね。

道の駅があるんですが、苫小牧の道の駅にある豚まんが大好きで、それを食べに行きました。

 

スパイシーで美味しいの。

そして、店員さんが豚の被り物してて可愛い。

去年も行ったけど、今年もお店のお姉さんとお話して盛り上がりました。

あと、札幌から離れるとこういう人の温かみが染みるんですよね。

 

朝ごはんに豚まんをあっちゅー間に完食。

またひとっ走りして昼めがけて海の駅へ。

 

ここでは名物のほっき丼を頂きました。

マージで苫小牧のほっき貝美味すぎるのでぜひ食べて欲しい。

写真はTwitterに載せたので割愛。

 

海と浜の匂いで食欲アホになっていたのでつぶ貝も頂きました。

 

これは私の相棒ポケモンのパピモッチちゃんです。

相棒や推しぬいを連れて歩いたりでかけるのが大好きなので、今日はぱぴちゃんを連れ回した。

 

太平洋の海が一望できる穴場スポットを知っているのでそこにも行きましたが、やっぱり太平洋の海は怖い!

天気は良かったのに、波の威力がすごくて迫力がありました。

日本海は静かで綺麗な海なんですよ。

 

 

帰りは…偶然通りかかったパチンコ屋さんで寄り道しちゃいました(パチクズ)

 

1000円だけ打とうと座った台はガンダムユニコーン甘。

すぐに当たりを引きましたが単発で終了。

その出玉でバカボンのライトミドルを初打ち。2回転で当たりを引きラッシュへ!

バカボンの父の必殺技、バカオウギ「これでいいのだ」で、なんか敵の鬼をぶっ飛ばすという面白展開に笑う。

 

3000円勝ちました、やったね!ガソリン代に消えました。

 

 

そんな感じで私の趣味は道の駅を巡りながらちょこちょこ食いをすること。至福のときです。

大好きな音楽をちょい爆音にして運転するのが最高。

 

ただ、運転そこまで慣れてないので緊張感からかあんまり乗ると偏頭痛がする笑

 

帰宅して少しお絵描きして就寝です。

創作活動が最近楽しくて仕方ないし生きがい。

 

こう思えたのは、盟友松井さんとももちよちゃんのおかげです。

本当にありがとう。

創作を諦めた私にキッカケをくれたももちよちゃん、創作活動を互いに楽しみ切磋琢磨してくれる松井さん。

創作への愛情を注いでくれるこの2人がかけがえのない大切な盟友です。

私にとって創作は、私の存在する意味。

運決めがあったから自我を保てたし、辛いことも創作に打ち込んだから上手く生きてこれたんだと思うから。

 

そして、最近タグも頑張ってつけてから、フォロワーさんも増えたのだけれど

ご縁がすごくて、仲良くして下さる創作愛絵師さんばかりで私は幸せです。

 

これからも創作楽しんでいこうと思います。創作をしていると壁にぶち当たることや悩みも出てくるけれど、みんな、無理なくずっと活動しててほしいな。

 

 

なぜブログを再開したのかというと、白米の人間性も分かるかなって思って。

こういうヤツなんだ、へえ〜って感じで親近感とか湧いてくれたら嬉しいです笑

 

さて、明日もお仕事だ。

程々にね。

おやしあ〜😴

働くって大変

私の仕事はシフト制。

早番、日勤、遅番、夜勤の4勤務がある。

 

この生活リズムをもうかれこれ15年くらいしている。

大体は早、遅、夜勤のルーティンが普通なのだが、今の職場は結構長丁場シフトにされる事が多くて、5連勤にされることがしばしば…

 

今回は早、日、早、遅、遅の5連勤。

普通に考えてみよう。

一般的にシフトじゃない方は月曜日から金曜日まで5連勤だ。

なので5連勤なんて普通の事だと思うだろう。

 

ただね!こう勤務時間が違うのはリズムが崩れて結構しんどいのですよ。

日勤やったあとに早番とか気が狂いそうになります😇

早番は5時起きなんですよ。眠くて眠くて死にそうになるのだよ。

 

そして…1ヶ月半ほど2連休がない。

 

良いですか?一般的な勤務の方は5連勤はしても土日休みが約束されていますよね。

2連休ありますよね。

 

よって私のこのシフトは鬼すぎる。

 

特に用事がある訳でもないが、2連休がないとやはりしんどい!!

体も心が休まらないよ〜。

 

そんな私の今日の休日は

4時就寝、11時起床。

起床と共にシーツをはがしシーツ交換、洗濯する。

トイレ掃除をする。

洗濯2回目をする。

掃除機かける。

水周り掃除する。

 

あれ?私休んでないじゃん!(ぷんすか)

 

13時くらいからお絵描きに集中。

15時散歩(でかけようと思ったが寒すぎて断念。新しいカフェを見つけてクレープ買う。)

帰宅しまたお絵描きタイム

17時、買い出し。

18時、夕飯

19時、仮眠

20時、お風呂

21時、ポケカ研究

こんな感じで休日が終わった。

 

 

仕事は長く感じるけど休日はあっちゅーま

それに5連勤の疲れが1日では取れませんなんとかしてくれ上長よ。

 

明日、というか今日は夜勤。

多分鬼夜勤になるだろう…

 

社会人になると仕事が生活のメインになる。それに労働時間が長すぎる。

だって休憩含めて9時間でしょ?早めに来て準備するのを考えたら10時間は職場にいる事になる…なんで1日の大半を仕事に費やさなければならないのか!!

 

解せぬ。

 

今が1番若くて、今しかできない事も沢山あるのに仕事に費やす時間が勿体無いと思ってしまいますね。

 

だからといって短時間バイトだけでは生活費はとてもじゃないが稼げない。

副業したもんならほんとに休みがなくなるし…

 

生きるって難しい。

生きるだけで大変な家事は溜まるしお金はかかるし。

 

みんな、生きてて偉いです。

 

 

そしてしばらく私の推し達のイベントやらLIVEもないので私はもう心が干からびそうになりながらも貯金を頑張っています。いつか来る推し活のために…!

 

とりあえず29日に私の大好きなFINAL FANTASY のオーケストラが地元に来るのでそれを楽しみに頑張ります。

 

…その前に26日健康診断なので痩せます。

実はコロナが流行ってから20kgくらい太ってですね。

そこからダイエットして20kg減らして標準体重まで戻したのですよ。

いまも標準体重キー部してるんですけどもっと痩せたくて。

 

筋肉質だから足が太くて悲しい…。

 

とりあえずそんな感じで平凡な休みでした。

お絵描きもたーくさんしたい!時間ねえ!めっ!

これからの物語

まだ離婚届を提出しないまま、健康保険証や養育費など役所関係の手続きをせずに逃げ出した父のせいで私と妹は一時期健康保険証がない状態になってしまう。

 

その頃私も妹も、ストレスのせいか体調を崩し熱も出していたのにも関わらず健康保険証が無いため病院にも行けなかったりした。

 

父は、母の印鑑を持ち出し勝手に離婚届を提出、ちゃんとした手続きをされないまま私たち家族は投げ出された。

 

私は高校三年間、バイト代をコツコツ貯めていた。目標があったのだ、免許を取りに行くと。ようやく貯まっていたそのお金も全部引き出され、父は逃げた。

 

その後、なんやかんやで離婚後、祖父母の家で暮らすようになる。

祖父母はいつも私と妹が寂しくないよう沢山愛してくれた。

それでも、私の理想の家族像は消えない。

その頃の私は、「両親が愛し合って生まれた自分たち子どもが存在するのだから、片親を失ってはもう愛されていない証拠なんだ」と心のどこかで思ってしまっていて、自殺願望が芽生え始める。

 

バイトをしている時だけはなんだか気持ちが楽で、バイトに明け暮れた。また1からバイト代を貯めて免許を取るという目標を立てて頑張った。

ただ、そのお金は母の借金に充てられ、自分の高校生活で貯めたお金はまたしてもゼロとなった。

 

私は頑張ってきた、なのに両親にこんな風にお金を使われる。私はなんのためにいるのだろう、ただの金蔓なのか、ただの道具なのか。

ますますグレてしまい両親への憎しみは最高潮となっていた。

それでも高校卒業後も働き続けてお金を貯め、生活費に充て、妹の高校入学費となり私は免許を取る目標はどんどん遠ざかった。

 

高校卒業後も父と浮気相手の嫌がらせは続き勤め先にまで来るようになった。

そこで私は2人に誘拐され車で連れ去られる。

今更話すこともないと拒否をしたけれど無理やり連れ去られ、浮気相手から出た言葉。

 

「私たちと住まない?」

 

耳を疑う。母の事は厳しくて嫌いだったけれど、さすがに父と浮気相手と住むなんて有り得ない。

父も洗脳されていたのか知らないが、そこにいる父の姿はまるで別だった。

そして、浮気相手は妊娠していた。

 

丁重にお断りし、逃げて家に帰った。

その事をきっかけに私は男性恐怖症となる。

 

とある女性と仲良くなり、付き合ったがそれもバレて母にめちゃくちゃ怒られた。

真っ当な生き方をしてと説教されたが、真っ当に生きて散々な仕打ちをしてきたのはお前ら両親だろと強く反抗した。

 

当時、母は私のお金を当てにしていた事もあり、私は母に「私のことを金蔓としか思ってないくせに、どいつもこいつも嫌いだ」と、家を出た。

 

その間に祖父が脳梗塞で倒れ、入院。もう家での生活は困難になり施設に入ることとなる。

私は祖父母が大好きで、お世話になった事もあり介護職を目指し資格を取りまくり、国家試験を受け介護福祉士となっていた。

 

外泊許可をもらい祖父を家で介護した。

それがきっかけで母との関係は良好になっていった。

 

そういえば、寡黙な祖父が元気だった頃、泥酔して夜中に帰宅した事がある。

酔っ払い、転んで血だらけになりながら帰宅した祖父を介抱していると、祖父が

「お母さんを恨まないでやってくれ」

と、私に言った。

その意味を知るために、それから歳を重ね色んな話をするようになり、当時の母の葛藤や気持ちを知り、知らない事実も色んな話も祖母や叔母から教えられ、それなりに理解し少しずつ憎しみが無くなっていった。

 

今年34歳。色々あったけれどようやくこの若かりし頃のトラウマと向き合えるようになったのはつい去年。

 

憎かった両親を赦した。

自分も赦した。

 

大人になっていくにつれ、自分自身もたくさん過ちを犯して色んな経験をした。

大人の汚さも沢山見てきた。

 

自分自身と向き合い続けた去年。

全てを赦し解放したとき、やっと私は私になれ、もうなにも怖くなくなった。

 

私にはもう失うものはないなって悟ったし、多分あれ以上辛いことはないと思う。

 

なんで今回こんな生い立ちを書いたのかというと、別に同情されたいわけじゃない。

悲劇のヒロインだと思われたい訳でもない。

 

改めて、全てを受け入れトラウマを克服した私の存在を残したかったから。

多分あとから恥ずかしくなってブログも消すかもしれないけれど。

多分、こういう人生経験が今の創作の世界観に繋がっているんだろうなって思う。

 

そして、誰しも人間は自身と葛藤するし周りと比べ悲しくなったり、なんで自分はと責める時がある。

それは当然の事なのだけれど、自身と向き合って全てを赦したとき、やっと、なんだか人生を謳歌出来るようになったのが私なので、悩んでいる人がいたら今一度自身と向き合う事が1番良いのかなと思い文章にしてみた。

 

まあ、そう簡単にそんなこと出来ないのかもしれないけど、自分次第で何とでもなると私は経験を積み気付いたので書き綴った。

 

私は今、この自身の闇を受け入れつつ、それでも良いんだと認め今日も前を向いて生きている。

 

何が言いたいか分からないけれど

良いんだよ、弱くても、穢れても。

心の傷は消えないけれど、傷跡は残るけれど、

いつか傷は癒えるから。

 

 

 

そう思えた時、私は私を好きになれました。

私の物語

多分私は、理想の幸せな家庭に生まれたんだと思う。

 

長女として生まれ、祖父母も若く初孫だというのもあり、チヤホヤされ可愛がられた。

それに、私はあまり泣かない、大人しい赤ちゃんだったようで手もかからなかったそう。

父も母もとても優しかった。

保育園時代からは病気が多くて入退院や手術を繰り返していたらしいがそれでも両親や祖父母は協力的で私を可愛がって大切にしてくれた。

小学生になると、学業に対して両親が少し厳しくなってはいたけど、それなりに応え成績も優秀だった。

80点台を取るとちょっと怒られるくらいには厳しかったので常に95〜100点を目指しキープするくらいには頑張った。

 

 

小学3年生になると妹ができる。

妹とは年が離れすぎて、姉妹という感覚はあまりなかった。

 

中学に入ると、私はアニメや漫画にハマる。

そもそも幼少期から絵を描くことが得意だったし大好きではあった。

中学で、漫画家になりたいと漫画を描くようになる。

アニメも見るようになり初めてアニメイトに行き感動したのを覚えている。

お小遣いで初めてNARUTOのグッズ(学校で使えるような文房具)を買って大切にしていた。

が、アニオタは気持ち悪いという時代だったのでグッズ類は親に捨てられ漫画も制限され、漫画を描くことは許されなかった。ので、隠れて夜更かしして親が寝たのを確認してから暗闇でよく描いた。

見つかっては捨てられたけれど。

 

受験もあるため、親は中学に入ると学業には更に厳しくなった。

公立高校以外は許されない。

良い高校に行くこと、そのプレッシャーに耐えながらも私は沢山勉強して成績トップ、学級代表も3年間務め部活も好成績、内申点もトップ。

そのおかげで学業推薦で目指していた高校にも受かり特進クラスへと進学する。

その頃、父親は単身赴任で母と私の折り合いが悪くなる。

 

高校に入ってもまだ漫画は描いていた。勉強が難しくなるので中学ほど描ける時間は減っていたが、それでもつかの間の休息、楽しみの時間ではあったので絵は描き続けてた。やっぱり見つかっては捨てられた。

 

それと同時にとあるバンドにハマる。音楽に魅了され、毎日それを聞くようになるがビジュアル系バンドということもあり偏見のもと、これも反対され音楽を聞くことも許されなかった。

隠れてLIVEに行ったりもした。その度怒られた。

大好きな部活も金銭が厳しいからと辞めさせられた。

門限も厳しく18時までには帰宅。それ以外はバイトに明け暮れる日々。

 

怒られ反抗しつつもなんだかんだ、言う事を聞きながら親の理想、親が喜ぶ子ども像を思い描いて期待に応えようと頑張る自分がいた。

 

妹は幼少期から繊細で、私のように厳しいしつけをされることもなく、割と自由に過ごさせてもらっていたのを横目に、不満はありつつも私は高校生だし我慢しなければと、ずっとずっと親の期待に応え続ける。

 

そんな時、高校3年生になる時、父親の浮気が発覚した。

土日になると必ず帰ってきた父親。色んな場所へ連れていってくれたり優しくしてくれた大好きな父親が。

 

ある日、早朝から母と父が言い合いしながら大きな物音を立て揉めている音で目が覚める。

玄関に突き飛ばされ泣きじゃくる母と出ていく父親の姿を目撃した。

妹は泣きじゃくっていた。

私は立ち尽くし、何も無かったかのように部屋へ引きこもる。

 

 

それから夜中にずっと家の電話が鳴り響いては、母の怒鳴る声で寝れず寝不足となる。

情緒不安定になっていく母の姿と、帰ってこなくなった父。

妹は毎晩泣いて、それをあやす私。

そんな毎日だった。

寝不足でもバイトは休まなかったし学校もそれなりにちゃんと行った。

たまに疲れてサボることがあって、そんな日は川で黄昏て1人大好きな歌を歌ったりしてボーっとしていた。

 

頑張っても報われないと悟った私は学業を放り投げた。良い高校でそんなことをする私は特進クラスにとっては邪魔でしかないし不良扱いされ孤立する。

担任にも特進クラスにお前は必要ないと言われ益々グレて特進クラスを外された。

 

留守番をしていた時に電話が鳴って、取ると父の浮気相手からの電話だった。

たくさんギャーギャー言われたけど、何を言われたか覚えていない。唯一覚えている事は、「私にとってあんた達子どもが邪魔だし、あんたの父親もそう思ってるわよ」と言い放たれた。

 

浮気発覚と同時に母が借金をしていたことも明らかになっていき、私はもうその頃には人生に絶望した。

「私が何をしたというのだろう」

真っ当に生き、親の理想像を叶えたつもりだったのに、こんな風に両親に裏切られた事が何より辛かったし腹が立った。

離婚へと話が進んでいたけれど、泥沼で離婚までの道のりは長かった。

それまでは毎日浮気相手から嫌がらせの電話があって眠れなかった。

ストレスを抱えた私と妹は、母方の祖父母の家で過ごすようになる。そんな時、私の元へ父から電話がかかってきた。

私は父が大好きだったし、憧れていたし尊敬していた存在だったので、浮気したという事実はあってもまだ父の事は嫌いになれず、それでも私と妹、子どもの事は大切にしてくれるはずとどこかで思っていた。

電話に出た私へ向けられた言葉はこうだ。

 

「お前なんか子どもだと思ってない、邪魔だ。」

 

何も言えずその場でポロポロ泣き出した私の姿を見て祖父母は激怒したのを覚えている。

33年間生きてきたけれど、今思っても、多分その時が人生で1番悲しくて1番泣いたと思う。

 

9月、私の誕生日。

離婚の決着をつけるため母方の実家で話し合うとの事で妹は叔母に預けられ、私は自分の家で留守番を強いられた。

初めてのひとりぼっちの誕生日。

毎年ホールケーキで家族みんなでお祝いしてくれた誕生日。

高校3年生の誕生日は1人ぼっちで、冷蔵庫にあった1つのショートケーキを食べた。

あんなに味のしないケーキは初めてだった。

 

HELL-SEE

久しぶりにブログなどを書こうと思ったのは、昨日の事を文字にしたかったから。

 

Syrup16gのライヴに行ってきました。

 

中学生のときに知ったバンド。

中学生ってバカやってたり楽しかった記憶がほとんどなんだけれど、まさに思春期で色々と人格が生成されていく年代は色々と子どもと大人の狭間でぐちゃぐちゃに心を悩ませることもあり。

自殺願望凄かったんですよね。

手首切ったり、なんなりして安心してた。(今はそういうことは一切ないのでご安心を)

 

そんな時に出会ったのがSyrup16g

暗い歌詞なのに、どこが安堵感がすごい。心地の良いサウンド不眠症のお供みたいな。

 

あー。死にたいって思ってもいいんだ。

別に手首切ったって良いんだ。

って、否定されなかったことが嬉しくて、下手くそにでも生きて良いんだって。彼らの音楽に触れて心が楽になった瞬間でした。そこから死にたい欲も自傷行為も自然と減っていきました。

 

お小遣いを溜めて、友達と2枚のアルバムを買いあって貸しあって、なんて青春を思い出したり。

でも、1回解散しちゃったんですよね。

それから離れてしまって、聴かなくなってしまったのだけれど、社会人になってやっぱり死にたいくらい辛いことなんてたくさんあって。

そんな時にちょこちょこ、昔のSyrupの曲を聞いていました。

再結成されたときは嬉しかったけれど、そのときの曲は全然聞けなかった。

たぶん、大人になって、吸収できなかったんだと思うし、心のスピードについていけなかったんですよね。

 

そんなこんなで、まあなんとなく過ごしてた日常。Syrupが札幌にくるというのを目にした。しかもHELL-SEE再現ツアー。

 

私が彼らの曲を最初に聞いたのはHELL-SEEのアルバムだったんです。

行くか悩んだけど勢いでチケット買ってね。

 

2023.6.22 札幌 ペニーレーン

 

1.イエロウ

最初の入りのギターに一目惚れした曲。かっこいいのに歌詞がやる気なくてもうときめいたのを覚えてる。

予定調和に愛を 破壊に罰を

誹謗中傷に愛を 仕事しようよ

って歌詞、中学生のくせに惹かれたんだよね、当時(笑)

あと2番のね、スキルが無いから好きにしたい〜の部分死ぬほど好き。

誤解が過ぎたら後悔したいとかね。天才かいな。

 

2.不眠症

当時はノリの良いハードロックな曲が大好きで、静かな曲はあまり聴いてなかったんですよね。でも歳を重ねて聞く不眠症はなんだか味があった。噛めば噛むほど良いみたいな。空っぽのまんまで生きてるけど心地よいメロディに満たされて不眠の不安感を拭うような、なんとも言えないギターサウンドにときめいてしまった。

 

3.HELL-SEE

なんとも言えない歌詞と、どこか遠くにいるかのような曲調に脳が痺れる。

言葉にできないが、脳が麻痺してクラクラした。

 

4.末期症状

いやー!もうギターサウンドだけで盛り上がってましたね。熱気が急に凄かった気がする。

もうくだらねえつまらねえわかんねえよ

の五十嵐さんバリバリかっこよくてですね、語彙力失う。

サビの盛り上がりが印象的でした。

 

5.ローラーメット

レトロなギターサウンドが印象的なのに、歌詞と世界観が良い感じに狂ってて好きです。 アホ面だ〜ヅラ〜

 

6.I’m劣性

はいキタ!もうギターの入りからもうぶち上がりでした。

五十嵐さんの力強い声が五感に響いてきて体が喜んでた。

ファンの皆様も思い思いに拳を上げたりリズムに乗ったり、それぞれ音楽を楽しんでて会場が一体化した感覚でした。

 

7.(This is not just)Song for me

爆裂に泣いた。実は個人的に今回のツアーでめちゃくちゃ楽しみにしてた曲のひとつ。

優しくて繊細すぎるメロディが心に染みて、気付いたら涙が止まらなくて、何か込み上げるものがありました。

あんなに熱く泥臭く、まっすぐな五十嵐さんの声が一気に優しくて、触れたら壊れそうなくらい優しいから。涙が止まらないんだ。

 

8.月になって

中学生の頃はこの曲の深みを理解してなかったのだけれど、大人になって聞くと複雑な感情が絡まりあった。

そばにいるのに遠くて、掴めそうで届かない、永遠に。この想いは一生続くんだろうな。優しくて切なくて、寂しくて、暖かかった。

 

9.ex.人間

必死こいて人間です。

待ってる人がいてそれだけでもう充分です。とか。

愛されたいだけとか遠くて人が死んでも気にしないとか

人間みがあって汚れてる部分が最高に気持ちよくてなんともいえない。

 

10.正常

使えないものは排除ってすごいよね

もうずいぶん昔の曲なのに、今の時代を歌っているかのような。

サビの独特なメロディが癖になる。

ここで1度心がリセットされるような感覚になりながら生演奏をしっかり耳で感じた。

色々なストーリーがそこにはあって、人それぞれの正常があって。

でもおわり。

 

11.もったいない

やる気のないスタートから、静かなサウンドに触れ、優しさと繊細さに心が洗われたあとにまた人間の汚さとか愚かさとか冷たさとかぐちゃぐちゃな感情を抱いてリセットされたあとの、この静かなサウンドなのに目が覚めるような感覚。

 

12.Everseen

からの、この爽快なギター音に更に目が覚めた。

会場のボルテージが上がるのを間違いなく感じる瞬間。

五十嵐さんのかき鳴らすギター、ベースの重低音、力強いドラムがリセットされた身体に響き渡った。

生き返るような感覚だった。

 

13.シーツ

散々熱くなった後のシーツ。

痛み堪えて痛み殺したって歌詞がグサリと心に突き刺さる。

それなのに心地よくて、夢を見ているかのような感覚が体を巡っていく。

 

14.吐く血

シーツの後のこのタイトルすごいよね(語彙力)

ポップなギターサウンドなのに歌詞が衝撃的なところが魅力的だと思う。

「貴方は私と似ているね」のフレーズは、間違いなく会場にいた全員が感じたであろう。吐く血の女が言う言葉のひとつひとつが重くて心にスっと入ってくる。

 

15.パレード

長いようで短い旅の終わり。

穏やかに眠れそうな、そんな最期が見えてくる。

幸せなまま眠って、このまま二度と目が覚めなければ良いのにって

体の感覚がクリアになっていくような、そんなメロディ。

 

 

というわけで、もはやレポというかただの曲の感想みたいになってしまった。

自己満足なので許して下さい(笑)

 

今回のツアーのレポも、セトリも一切見ないで挑んだライヴだったので

こんなアルバム通りだとは思わなくてびっくりしました。

HELL-SEEのアルバムから数曲抜粋して、あとは新曲多いのかなと勝手に思っていたので…こんなにも再現するとは思わなかったのよ。

 

そりゃね、泣くよな。

 

友人に言ったらニヤニヤしながらLINEきました。ありがとう友人よ。

 

とりあえず長くなるのでアンコールはまた別記事に書こうと思います。

 

長年放置してたブログを書くなんて

Syrupへの熱いと想いって、すごいなって自分でもびっくりしている。

離れてても、根本的に好きだし根付いてるんだなって改めて実感しました。

 

ブログ、楽しいな。

また書けるときに書いて行けたら良いと思う。

まあ、語彙力がないのが残念なのだけれど。

 

 

それでは。明日も生きていこう。

小さな命

こんにちは、おこめです。

2021.6.16
我が家のハムスター、えだまめちゃんがお空に還りました。

どんどん寝る時間も増えたしご飯も食べなくなってきていました。
先週から食べられなくなって、ペースト状のご飯を介助で食べてくれる程度に。
水は全く飲めなくなりました。
歩くのもヨボヨボでやっとのこと。
それなのにトイレは頑張って歩いてました。

昨日からご飯も食べられず。呼吸も不規則。
今日は私の仕事が休みだったので、最期に立ち会えました。
もうそろそろだな、という勘は当たり。
ずっと寝てたんですけど、最期は目を開けてそのままお空に還りました。

2年3ヶ月、頑張って生きてくれました。
人間でいうと84歳なんだって。
すごいね。
病気もせず健康でした。
最期も苦しそうな様子もなく。
自然に寿命を全うしたのではと、勝手に思っています。

こればかりは、動物の、気持ちはわからないから、エゴなんだろけど。


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世界一可愛い私の家族。
大好きよ、愛してる。


ゆっくり休んで、おいしいものたくさん食べてね。
ありがとう、えだまめちゃん。

3.11

10年。


こんにちは、おこめです。
東日本大震災から今日で10年ですね。
私は北海道民なのですが、北海道もかなり揺れ怖かったのを今でもしっかり覚えています。

当時20才、友人と休みを満喫している最中の出来事でした。
北海道は被害がなく一瞬の出来事だったと思い帰宅しテレビを見ると被災地の映像が衝撃的すぎて何が起きたかわかりませんでした。

被災地の方々はもっと怖い思いをして
亡くなられた方々も犠牲者もたくさんいました。

10年だから、ではなく毎年この日になると思い出しますし忘れてはいけない出来事だと思います。

こうして平凡な日々を過ごせる幸せを噛み締めながら毎日感謝して生きていきたいですね。

傷は癒えても傷痕は残っています。
被災地の方々が少しでも幸せに過ごせますように。


黙祷。