お盆の時期は亡くなった人たちが帰ってくるというけれど、あれは本当なのだろうか?
3年前に大切なハムスター、えだまめちゃんが亡くなったのだけれど
その年のお盆時期の夜中、回し車の回る音がしたことを覚えている。
もう亡くなったあとすぐにえだまめちゃんのお家を片付けて撤去したはずなのに
自分の中でも、もうえだまめちゃんはいないことも分かってるはずなのに
その日は何故か、回し車の音で目が覚めて
「えだまめちゃんのご飯補充しないと…」
って思って、気付いたらえだまめちゃんのいたところにいた事がある。
あれ?そうだよね、もういないのに。
なんでだろうって不思議な気持ちになった。
帰ってきてたのかな。
そんな風に思うのは人のエゴかもしれないけれど、そう思うことは悪いことではないというか
やっぱり、大切な存在が亡くなれば、もう実態もないし、そこにいないのは事実ではあるのだけれど(霊感とかもないし)
会いに来てくれてるということを信じたいというか、そんな風に感情が働くものなんだろうね。
逆に、亡くなった祖父はお盆に中々会いに来てくれない。
ただ、たまーに祖父の夢は見たりする。
それはいつも同じ夢。
祖父と飲みに行ってる夢。
疲れた時とかよく見るんだよね。
目が覚めたら涙でまくら濡れてたりして笑
残す方と、残される方はどちらが辛いんだろうか。
たまーに考えることがある。
残す方は、多分無念で悲しいだろうね。
残される方も、寂しくて悲しいね。
きっと、先に逝きたい人が多いと思うんだ、世の中。
だって圧倒的に寂しいもん、残される方って。
死後の世界なんてどんなもんかもわからないからなんとも言えないけれど、
私はなるべく誰かを寂しくさせたくないから
身送る側、残される側で居れたらいいな。
絶対に寂しいよ、悲しいよ。
でも、自分が逝けばまた会えるかもなって、みんな待っててくれるかなって。
そんな大それた人間じゃないけれど
仕事柄、見送る側だからっていうのもあるかもしれないね。
たまには会いに来てくれよじいちゃん!笑
みんなの想う人や大切な人が
穏やかで過ごせますように。
強くありたい、誰かを支えられるくらいの、強さを。
でもそれにはやっぱり弱さも必要。
弱さがあるから強さがあるし、強さがあるから弱さもある。
ネガティブが悪
ポジティブが善
自分の思考に「良い」「悪い」なんてないんですって。
自分が勝手に善し悪しをつけているだけ。
例えば、
仕事で失敗した。なんて出来の悪い奴なんだ。私は最低だ。
と考えたとしても、周りはそんなこと思ってなかったりする。
例えば
私は天才だ、私が正しい!すごい!
と思っても、周りはこいつは最低だと思ってるのかもしれない。
正解なんてなくて
ポジティブな自分も、ネガティブな自分も「善し悪し」はなくて。
ネガティブになっても、そこをうまくありのまま自身で受け入れることが大事だったり
ポジティブすぎても誰かを傷付けたりするし、難しいよね。
そもそも、それぞれの生き方に正解がないから
良い悪いなんてそもそもないんだって何かの本で読んだ。
なので、自身のネガティブやポジティブに左右されず善し悪しをつけずフラットに受け入れることが大切らしい。
(法に触れることは悪いことだけどね!)
だから、ありのままで良いんだよなって、いつも自分に言い聞かせてる。
話が脱線した!笑
そんなこんなで私は今日もアイスを買いに行こうか迷って3時間経ちました、バカタレ!