まだ離婚届を提出しないまま、健康保険証や養育費など役所関係の手続きをせずに逃げ出した父のせいで私と妹は一時期健康保険証がない状態になってしまう。
その頃私も妹も、ストレスのせいか体調を崩し熱も出していたのにも関わらず健康保険証が無いため病院にも行けなかったりした。
父は、母の印鑑を持ち出し勝手に離婚届を提出、ちゃんとした手続きをされないまま私たち家族は投げ出された。
私は高校三年間、バイト代をコツコツ貯めていた。目標があったのだ、免許を取りに行くと。ようやく貯まっていたそのお金も全部引き出され、父は逃げた。
その後、なんやかんやで離婚後、祖父母の家で暮らすようになる。
祖父母はいつも私と妹が寂しくないよう沢山愛してくれた。
それでも、私の理想の家族像は消えない。
その頃の私は、「両親が愛し合って生まれた自分たち子どもが存在するのだから、片親を失ってはもう愛されていない証拠なんだ」と心のどこかで思ってしまっていて、自殺願望が芽生え始める。
バイトをしている時だけはなんだか気持ちが楽で、バイトに明け暮れた。また1からバイト代を貯めて免許を取るという目標を立てて頑張った。
ただ、そのお金は母の借金に充てられ、自分の高校生活で貯めたお金はまたしてもゼロとなった。
私は頑張ってきた、なのに両親にこんな風にお金を使われる。私はなんのためにいるのだろう、ただの金蔓なのか、ただの道具なのか。
ますますグレてしまい両親への憎しみは最高潮となっていた。
それでも高校卒業後も働き続けてお金を貯め、生活費に充て、妹の高校入学費となり私は免許を取る目標はどんどん遠ざかった。
高校卒業後も父と浮気相手の嫌がらせは続き勤め先にまで来るようになった。
そこで私は2人に誘拐され車で連れ去られる。
今更話すこともないと拒否をしたけれど無理やり連れ去られ、浮気相手から出た言葉。
「私たちと住まない?」
耳を疑う。母の事は厳しくて嫌いだったけれど、さすがに父と浮気相手と住むなんて有り得ない。
父も洗脳されていたのか知らないが、そこにいる父の姿はまるで別だった。
そして、浮気相手は妊娠していた。
丁重にお断りし、逃げて家に帰った。
その事をきっかけに私は男性恐怖症となる。
とある女性と仲良くなり、付き合ったがそれもバレて母にめちゃくちゃ怒られた。
真っ当な生き方をしてと説教されたが、真っ当に生きて散々な仕打ちをしてきたのはお前ら両親だろと強く反抗した。
当時、母は私のお金を当てにしていた事もあり、私は母に「私のことを金蔓としか思ってないくせに、どいつもこいつも嫌いだ」と、家を出た。
その間に祖父が脳梗塞で倒れ、入院。もう家での生活は困難になり施設に入ることとなる。
私は祖父母が大好きで、お世話になった事もあり介護職を目指し資格を取りまくり、国家試験を受け介護福祉士となっていた。
外泊許可をもらい祖父を家で介護した。
それがきっかけで母との関係は良好になっていった。
そういえば、寡黙な祖父が元気だった頃、泥酔して夜中に帰宅した事がある。
酔っ払い、転んで血だらけになりながら帰宅した祖父を介抱していると、祖父が
「お母さんを恨まないでやってくれ」
と、私に言った。
その意味を知るために、それから歳を重ね色んな話をするようになり、当時の母の葛藤や気持ちを知り、知らない事実も色んな話も祖母や叔母から教えられ、それなりに理解し少しずつ憎しみが無くなっていった。
今年34歳。色々あったけれどようやくこの若かりし頃のトラウマと向き合えるようになったのはつい去年。
憎かった両親を赦した。
自分も赦した。
大人になっていくにつれ、自分自身もたくさん過ちを犯して色んな経験をした。
大人の汚さも沢山見てきた。
自分自身と向き合い続けた去年。
全てを赦し解放したとき、やっと私は私になれ、もうなにも怖くなくなった。
私にはもう失うものはないなって悟ったし、多分あれ以上辛いことはないと思う。
なんで今回こんな生い立ちを書いたのかというと、別に同情されたいわけじゃない。
悲劇のヒロインだと思われたい訳でもない。
改めて、全てを受け入れトラウマを克服した私の存在を残したかったから。
多分あとから恥ずかしくなってブログも消すかもしれないけれど。
多分、こういう人生経験が今の創作の世界観に繋がっているんだろうなって思う。
そして、誰しも人間は自身と葛藤するし周りと比べ悲しくなったり、なんで自分はと責める時がある。
それは当然の事なのだけれど、自身と向き合って全てを赦したとき、やっと、なんだか人生を謳歌出来るようになったのが私なので、悩んでいる人がいたら今一度自身と向き合う事が1番良いのかなと思い文章にしてみた。
まあ、そう簡単にそんなこと出来ないのかもしれないけど、自分次第で何とでもなると私は経験を積み気付いたので書き綴った。
私は今、この自身の闇を受け入れつつ、それでも良いんだと認め今日も前を向いて生きている。
何が言いたいか分からないけれど
良いんだよ、弱くても、穢れても。
心の傷は消えないけれど、傷跡は残るけれど、
いつか傷は癒えるから。
そう思えた時、私は私を好きになれました。