多分私は、理想の幸せな家庭に生まれたんだと思う。
長女として生まれ、祖父母も若く初孫だというのもあり、チヤホヤされ可愛がられた。
それに、私はあまり泣かない、大人しい赤ちゃんだったようで手もかからなかったそう。
父も母もとても優しかった。
保育園時代からは病気が多くて入退院や手術を繰り返していたらしいがそれでも両親や祖父母は協力的で私を可愛がって大切にしてくれた。
小学生になると、学業に対して両親が少し厳しくなってはいたけど、それなりに応え成績も優秀だった。
80点台を取るとちょっと怒られるくらいには厳しかったので常に95〜100点を目指しキープするくらいには頑張った。
小学3年生になると妹ができる。
妹とは年が離れすぎて、姉妹という感覚はあまりなかった。
中学に入ると、私はアニメや漫画にハマる。
そもそも幼少期から絵を描くことが得意だったし大好きではあった。
中学で、漫画家になりたいと漫画を描くようになる。
アニメも見るようになり初めてアニメイトに行き感動したのを覚えている。
お小遣いで初めてNARUTOのグッズ(学校で使えるような文房具)を買って大切にしていた。
が、アニオタは気持ち悪いという時代だったのでグッズ類は親に捨てられ漫画も制限され、漫画を描くことは許されなかった。ので、隠れて夜更かしして親が寝たのを確認してから暗闇でよく描いた。
見つかっては捨てられたけれど。
受験もあるため、親は中学に入ると学業には更に厳しくなった。
公立高校以外は許されない。
良い高校に行くこと、そのプレッシャーに耐えながらも私は沢山勉強して成績トップ、学級代表も3年間務め部活も好成績、内申点もトップ。
そのおかげで学業推薦で目指していた高校にも受かり特進クラスへと進学する。
その頃、父親は単身赴任で母と私の折り合いが悪くなる。
高校に入ってもまだ漫画は描いていた。勉強が難しくなるので中学ほど描ける時間は減っていたが、それでもつかの間の休息、楽しみの時間ではあったので絵は描き続けてた。やっぱり見つかっては捨てられた。
それと同時にとあるバンドにハマる。音楽に魅了され、毎日それを聞くようになるがビジュアル系バンドということもあり偏見のもと、これも反対され音楽を聞くことも許されなかった。
隠れてLIVEに行ったりもした。その度怒られた。
大好きな部活も金銭が厳しいからと辞めさせられた。
門限も厳しく18時までには帰宅。それ以外はバイトに明け暮れる日々。
怒られ反抗しつつもなんだかんだ、言う事を聞きながら親の理想、親が喜ぶ子ども像を思い描いて期待に応えようと頑張る自分がいた。
妹は幼少期から繊細で、私のように厳しいしつけをされることもなく、割と自由に過ごさせてもらっていたのを横目に、不満はありつつも私は高校生だし我慢しなければと、ずっとずっと親の期待に応え続ける。
そんな時、高校3年生になる時、父親の浮気が発覚した。
土日になると必ず帰ってきた父親。色んな場所へ連れていってくれたり優しくしてくれた大好きな父親が。
ある日、早朝から母と父が言い合いしながら大きな物音を立て揉めている音で目が覚める。
玄関に突き飛ばされ泣きじゃくる母と出ていく父親の姿を目撃した。
妹は泣きじゃくっていた。
私は立ち尽くし、何も無かったかのように部屋へ引きこもる。
それから夜中にずっと家の電話が鳴り響いては、母の怒鳴る声で寝れず寝不足となる。
情緒不安定になっていく母の姿と、帰ってこなくなった父。
妹は毎晩泣いて、それをあやす私。
そんな毎日だった。
寝不足でもバイトは休まなかったし学校もそれなりにちゃんと行った。
たまに疲れてサボることがあって、そんな日は川で黄昏て1人大好きな歌を歌ったりしてボーっとしていた。
頑張っても報われないと悟った私は学業を放り投げた。良い高校でそんなことをする私は特進クラスにとっては邪魔でしかないし不良扱いされ孤立する。
担任にも特進クラスにお前は必要ないと言われ益々グレて特進クラスを外された。
留守番をしていた時に電話が鳴って、取ると父の浮気相手からの電話だった。
たくさんギャーギャー言われたけど、何を言われたか覚えていない。唯一覚えている事は、「私にとってあんた達子どもが邪魔だし、あんたの父親もそう思ってるわよ」と言い放たれた。
浮気発覚と同時に母が借金をしていたことも明らかになっていき、私はもうその頃には人生に絶望した。
「私が何をしたというのだろう」
真っ当に生き、親の理想像を叶えたつもりだったのに、こんな風に両親に裏切られた事が何より辛かったし腹が立った。
離婚へと話が進んでいたけれど、泥沼で離婚までの道のりは長かった。
それまでは毎日浮気相手から嫌がらせの電話があって眠れなかった。
ストレスを抱えた私と妹は、母方の祖父母の家で過ごすようになる。そんな時、私の元へ父から電話がかかってきた。
私は父が大好きだったし、憧れていたし尊敬していた存在だったので、浮気したという事実はあってもまだ父の事は嫌いになれず、それでも私と妹、子どもの事は大切にしてくれるはずとどこかで思っていた。
電話に出た私へ向けられた言葉はこうだ。
「お前なんか子どもだと思ってない、邪魔だ。」
何も言えずその場でポロポロ泣き出した私の姿を見て祖父母は激怒したのを覚えている。
33年間生きてきたけれど、今思っても、多分その時が人生で1番悲しくて1番泣いたと思う。
9月、私の誕生日。
離婚の決着をつけるため母方の実家で話し合うとの事で妹は叔母に預けられ、私は自分の家で留守番を強いられた。
初めてのひとりぼっちの誕生日。
毎年ホールケーキで家族みんなでお祝いしてくれた誕生日。
高校3年生の誕生日は1人ぼっちで、冷蔵庫にあった1つのショートケーキを食べた。
あんなに味のしないケーキは初めてだった。